2009年10月に開催した第一回目のPOP JACKERに東京からゲスト出演してくれた「楽団 象のダンス」というバンドが7inchシングルで遂に初の全国リリースをします。
なんだか当時を思い出したのでなんとなく綴ってみます。
このvol.1を企画した当時、転勤で東京に住みながら新潟でイベント企画するという無謀な試みだったのを鮮明に覚えています。それは、自分なりの社会に対する必至の抵抗でした。
というのも。
中学でギターとドラムを始めてスタートした音楽生活、文化祭でバンドをやるという夢を抱いて進学した高校も、音楽をしている人間がほとんどおらず、大学時代、どうしてもバンドがやりたいけどしっかりオリジナルバンドで活動していける仲間がなかなか見つからず、でも何かしたい、一人でも活動出来る事は何か?その時に見つけたDJという選択肢。でも当時はライブハウスでDJする人間などいなく、結局居場所なんてない。そんな自分の居場所を作る為に立ち上げたプロジェクトが"POP JACKER"です。
何が特別出来た訳でもないのに漠然と「オレは音楽をやる、就職なんてするもんか」と謎の意固地を貫いていた自分は結局、周りと自分自身を説得出来ずに順当に就職する道を選び、最初の勤務地が東京になりました。
まるで音楽なんて辞めてしまえと告げられているような感覚に陥ったりもしたけど、逆にこのアドバンテージを利用してやろうと、東京のライブハウスに「DJとして使って下さい」とMIXCDを渡して歩き回り少しずつ使ってもらえるようになりました。渋谷屋根裏では月1くらいで呼んでもらってました。それでも、自分のフィールドをしっかり作りたく、新潟でPOP JACKERを企画する事に踏み切ったのです。地元勢のブッキングが終わった後、vol.1に出演が決まっていたSLEEPING LUCYが出演する新宿JAMのイベントに足を運んだ時に対バンしていたのが「楽団 象のダンス」でした。言葉にできない、何か心を鷲掴みにされるようなライブを観てその場でオファーをしました。そんな出会いでした。
ボーカルの佐藤さんは歯に衣着せぬ発言をはじめ強烈なキャラの持ち主で、当日の自分のDJに対してダメ出しもしてくれて、その音楽に対する意思の強さに圧倒された記憶があります。twitterで自分が「あ〜今やらなきゃいけない事があるのに力が出ない〜」的な事を呟いた時に「やらなきゃ、ダメじゃね?」とリプライをくれた事、今でも「あ〜もうダメだ〜」と思った時にふと思い出したりします。バンドのライブは、その後に吉祥寺WARPに一度観に行ったきりになってしまって申し訳ないですが、とても思い入れのあるバンドです。
2009年に新潟に来てもらってから約5年半の月日が経ちますが、メンバーチェンジはあるものの名前も変えずに活動を続けて来たバンドの、曽我部恵一氏プロデュースによる記念すべき初リリースです。7inchももちろん買います。少しでも名前が広がればいいなと思います。非力ではありますが、応援しています。
何事も、続ける事はとても難しい事だと思います。自分もDJやイベントを辞めようと思った事は何度もありました。けど、続けて来たから見えた景色とか、続けて来たからつながれた人達が沢山います。高校〜大学で出会った音楽仲間で今でも音楽を続けている人は殆どいないけど、それでもがむしゃらに音楽を続けてきた今では、DJとは直接関係ない話を頂いて活動の幅も広がったりしています。少しずつ自分の音楽に価値が付いたりしています。
「続けること」
続けてれば、良い事あります。続けて来て、今そう思えます。